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ムンバイに思いを 

以下、疲れた頭でかいてるので、すこぶるまとまりないです。
むずかしい話は期待しないでください。むずかしい話は本読めばいいからね。
あくまでここは、虫の視点で。

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ムンバイのテロ事件。
インドで知り合った友人に、ムンバイやデリーを行ったりきたりするビジネスマンが何人かいたので、その安否と事の行方を非常に心配しながら、日々のニュースを追ってました。
と同時に
インド人の今回のテロへの反応に、ちょっと・・・不安も覚えました。FACEBOOKでの発言とか、本人を知ってる分おおおおおと思うことが。。。
イスラム教への憎悪の連発。「テロリスト」ではなくてイスラム教への言葉。悲しみを超えて怒りが見える。

外国人を狙ったテロって日本では報道されてるけど、インドでの人たちの間では、あんまりそこは重要視されてないようで。
個人的には治安当局何やってんのって思う方が先なんだけど(今年始めの西部連続テロとか、警察馬鹿にされてるの丸見えだったし、実際あっち行って思ったけど治安守る気ないんじゃないかと思えるような警察だったりします。テロ後も。)、そこもあまり今は議論になってないみたいね、民衆の間では。


「イスラム過激派の犯行」っていう事実が、日本では考えられないような憎悪を呼ぶ国です、あそこは。
よく、インドは多宗教が共存してる、寛容の国だ・・・って言う人がいて、実際にインドの人たちも、そのことを誇りのように口にすることが多い。日常の上ではあからさまな対立とかは、あまりない。
でもやっぱり、生活とかを見ていると、イスラム教徒の人たちの方が、ヒンズー教徒の貧しい層よりも厳しい経済生活を送っていたり。プンジャービーとかキリスト教の富裕層はいても、イスラム教はなかなかいない。でもスラムの中は、イスラム教徒が相当多いです。
ヒンズー教の人たちのちょっとした会話の端々から、イスラム教徒への反感が垣間見えたりは、日常だったし。イスラム教徒の人たちは、そこまであからさまにヒンズー教を嫌悪はしないけれども、どこか迫害されてる意識があるのは、これまた会話から推察できました。
パキに近い地域の出身の子が、そのての話題にすごく敏感に反応するのも見て、驚きもしたし・・・「俺はイスラムじゃねぇ」みたいな。聞いてないのに。


ヒンズー教って、本来はすごく寛容な宗教なんですよね。神様はたくさんいて、異教徒の神も神は神・・・みたいな。結局は自分とこの宗教の中に他のものを内包して見てるわけだけど、それでインドは今もいろんな宗教がありえるわけで。
イスラム教の方も、本来なら攻撃性とは無縁の宗教です。モロッコの友人に色々話を聞いて、いまだにちょっとわかってない部分もあるんだけどね。
あっちにいる間、夜がひたすら暇だったから、宗教書とかも読み漁ってたんだけど、読めば読むほど「じゃあなんでこう衝突ばっかするんだ・・・」と空虚感が・・・・
宗教はそれ自体は完璧なんだけどね。高潔で。
それ壊すのって、人なんだよね結局ね。
歴史ってのはあくまでも解釈の産物じゃないかと私は思ってます。すべて事実だとしても、事実の取捨選択と因果関係とか、前編にわたって語り手の手が働く。その紡ぐ物語が、真実として語られると、どこかで齟齬は起きるもんなんでしょうか。



長い歴史と、今の社会の構造。
いろんな要素が入り組んで、宗教は本来の枠を超えて他の宗教とぶつかる姿勢をとっていくんだということが、日本にいるとあまり実感としてわかない。
新興宗教がらみの危ない事件はあっても、「普通じゃない人たち」がやったこととして認識されがちだし・・・・多くの生活者が宗教を理由に憎みあう構図、飲み込めても理解はできない。
だからインドにいて「お前はどう思う」といわれても、「みんな仲良くできるように話し合いましょう」とかいうどこの鼻につく優等生だお前は・・・みたいな意見になってしまってました。
そういう意味で私は完全なるよそ者だったから、それを逆手にとって、思う存分両方の話も聞けたんだけど
「自分だったらどうか」が具体的に想像できないあたりが致命傷だと思う。
客観視できないってのは問題だけど、主観もってないってのも結構問題だと思った。



まぁ勿論、根底には、社会環境の是正とか政府の対応不足とか大きい問題もあるんだけど・・・・インドの人にとって、政治はすごく遠いものなんだって、あっちいるとき痛感したんだよね。
日本の若い人も大概政治に興味ないと思ってたけど、インドも似たようなもんだった。ただ日本と違って、政府=腐敗っていう構図が浸透しすぎてるからのように感じた。
でも、ここでやっと、学生中心に政府批判もあがってるらしい。
政府が政策実行したからといって解決する種の問題じゃないですが
せめてその姿勢は見せようよ。とおもっちゃうよ、やっぱりね。
今後に期待。



もちろん
言ってしまえば、上のたわごと全部、私の経験(人との対話)の中から生まれた言葉で。
個人的経験の限界があるから、上がインドの真実だとは、勿論いえません。そこはご了承ください。インドは本当に広くて、私が知ってるのがごく一部。どの階層・宗教も網羅した人たちに話はきいたけれども、現実は複雑で多様ですから。
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インドは国境沿いに数多くの問題をはらむ国。
東のダージリン、北のカシミール、西のパキ国境、そして全土のイスラム過激派・・・エトセトラ。
穏やかそうに過ごすおっちゃんらや、にこやかに過ごしてるおばちゃん、有能なビジネスマンたちに商売に大忙しな露天のおっさんたち見てると、なんだか遠いことのように思えるんだけどね。
ターゲットが外国人であっても、また内部の亀裂が明確になるのかと思うと、ちょっと、というかかなり、哀しいです。
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子供たちがこの先、安心して暮らせる国になってほしいです。



ほんとまとまりも知性も感じられない文章ですが
真剣にへこんでます。はぁ。
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[2008/11/29 19:23] IN KOLKATA | TB(0) | CM(1)

Calcutta's Red Light Kids 

来週、東京帰ります。
主たる目的は就職活動関係と、受験時代の同胞たちとのリユニオンなんですが
それ以外にひとつ、大きな目的ができました。
それが、シネスイッチ銀座で今週末から公開される、映画「未来をうつした子供たち」。アカデミー賞のドキュメンタリー部門に輝いた作品です。2004年にアメリカでは公開されてるんだけど、日本はやっとこさの公開です。

英語版でもうDVD出てるみたいですが、DVD買っても「かって満足して二回以上見ない」傾向があるもったいないお化けにたたり殺されても文句いえない私には、高い買い物だしね。
ちょうど時間もあるし、見に行くことにします。

bib.jpg

邦題「未来を写した子供たち」、原題「Born into Brothels(売春宿に生まれて)」。与える印象はなんだかちょっとかけ離れちゃってますが、この二つを並べてちょうど全体のイメージってところなんだろうか。
インドのコルカタが舞台です。
コルカタの中でも、「レッドライト」地域、つまり、売春通りがある場所が舞台。
主人公は、売春婦を母にもち、RedlLightDistrictでともに暮らす子供たちと、
彼らにカメラの使い方を教えることで、彼らがいる負のスパイラルを断とうと奮闘する、一人の女性の姿。



映画自体をまだ見てないから、コルカタにいたころに文書類で読んだ事前知識だけでの話になりますが、
ここにすむ子供たちっていうのは、大体初潮がくるころには、売春させられるようになるそうです。
「構造的暴力」っていう言葉が、頭をよぎりました。ほんとそうだ。
はたらかされるのは、スラムの子供たちと変わりませんが
性を使った労働ですよ。
生まれた国と場所が違うだけで、容認されていいわけがない。けど、そうしなければ生きていかないと言われた時に、あらがえるかという。現地の人間誰もが「レッドライトディストリクト」という括りを設ける中で。お前の生きていく道はこれしかないんだよ、と親に言われる中で。そういう現実の残酷さの片鱗だけでも見てしまうと、何も言葉が出てこなくなりました、私は。
でもそこで言葉を発して変えていこうとする人たちが、いるんですよね。


私自身は、RedLightDistrictにはいったことがありません。
場所は知ってたので、児童買春の問題性と、そこに必然的にうまれるAIDSの問題、これは児童労働と並んで無視できない問題だと思って、上司に何かの形で関われないかと聞いてみたところ
むちゃいうなと。ものすごく嫌な顔で言われてしまって。
そりゃそうですよね・・・・現地の人の方がそういう地区には警戒心が強い。普通にいやがられました。
しかも児童労働の方と違って、NGOのリーチ外だった。NGOってのは、領域なんかないように見えて、実は結構コミュニティが大事だったりするんだとその時実感。
私としても、一人で行くリスクにチキった(マフィアがいると脅されて)のと、AIDS関連のプロジェクトを立ちあげるには遅すぎたのと、学校運営プロジェクトを中途半端にできないこと、そして一番大きいのは、自分の準備不足(事前知識含め、興味関心以上の、当事者のための大目的が成立しなかった)があったので、結局いかず。
こんな人がいたんだなぁと、お会いしたかったなぁと思います。
子供たちをプロジェクトのアクターとしてとりこんだのが、本当にすごいと思う。主役にしてあげられたことが。
私たちは、ポストカードプロジェクトでは、彼らが主役であることを第一に考えたけれども
学校運営プロジェクトでは、主役にしてあげられなかったしな。もちろん当事者意識は必要なので、全段階で現地のお母さんお父さんたちには参加してもらってるんだけど・・・あとは子供の意見聞いたり?でもそのレベルにとどまってるしね。
この辺も、今度話してみます。



生まれた場所の構造にとらわれる子供の問題。
お時間ある方は、ぜひ足を運んでみてください。
もちろん東京の友達で一緒に行ってくれるならうれしいんだけど、平日なんで笑。そんな暇人私ぐらいだろうし・・・
上映の売上の一部は、KIDS WITH CAMERASという運動に寄付されるそうです。
詳しくは→http://www.kids-with-cameras.org/home/
コルカタ内にこの事務所あるみたいだから、なんかリンクできないかな・・・・という話を、してるとこです。デニースと。実際問題難しそうではあるけど・・扱うトピックの種類的に。
[2008/11/21 03:27] インド関係書籍・資料 | TB(0) | CM(1)

着々進行中 

プロジェクトの話、もうちょいくわしく書きましょう。問題とかも文字化してみよう。


a>IMG_2669.jpg

Mallickpurという村です。コルカタ郊外にあります。
養蜂と農業が盛んで、家庭によっては電気通ってるところもあり(日に2、3時間ぐらいしかまともに供給されませんが)。
近くには線路が通っていて、10分ぐらい車でいったところには、コルカタへと走る車道がある。
よく途上国の村というと、文明も電気もないみたいなイメージもたれるみたいですが
今はさすがにそれは、大都市の郊外にはあまり適用できません。子供が服着てないのは単純に暑いからです。
農村にいてこそ、「世界化」という言葉を痛感します。どんなものも、どこにでも届きうる時代なんだなぁと。ただ必要はねぇなぁと。


ああ、話を戻すとですね、
そういうことでごく一般的な農村なんですが、
仕事がないこと、そして人口が多すぎることが深刻なレベルに達してます。
毎朝、運がよければ、日雇労働者を乗せてコルカタへ行くトラックがきますが、それも全員にいきわたるものではないからね。
親も、教育に対する理解はあるけれども、とてもじゃないけど設備も環境も整っていない状況で、遠い学校に行かせるほどの熱意は、ない。


私たちが学校教育をはじめようとしているのは、こうした村です。
土地はもう買ってあります。こういうところが、やっぱり、サイドビジネスがあるNGOの強みやんな。
建築費用は、順調に集まっています。
資金面は当初結構心配していんたんですが、予想以上に、コルカタの人々が協力的なんです。
国際的なドネーションには、限界があります。現地のことを知らない、実感がわかない大勢の人に語りかける行為は、啓発・啓蒙にはなっても、当事者意識にはつながらない。
その点、コルカタに住む人たち、それも、ビジネスマンや富裕層など、メディアでは貧しい生活を知っているけれども、今まで交わってこなかった層・・・ここをターゲットにすると、ものすごい効果がある。
「何かできるならしたい」と思ってる人って意外と多いんだ。自分と、問題が、交わらないだけかもしれないね。
ドネーションに比較的前向きな文化もプラスに働いてるし、コルカタにいる間に培った人脈も、生きている。人づきあいがあまりよくない方である私は、けっこう息切れ気味でしたが、甲斐ありですかね。




建物が建ってようやく、インド政府の援助や、諸団体のファンドに応募可能となります。この辺はもうとにかく書類と渉外の嵐です。
しかし実際、資金的な話や手続きよりも、教育の質とか対象児童のフォローアップ、フリースクールから公立学校への引き継ぎなどなど、実質的な問題の方が深刻。

たとえば、人口が多すぎる村においては、子供の数もはんぱないです。
日本では最近、塾か小学校の敷地内にいかなければ大量の児童なんて見る機会ないですが、この村においてはほんとそこらじゅうに子供があふれてる。一家庭で3人は少ない方。一人しか子供がいない家は「なにかあるんじゃないか」と思われるぐらいだそうで。
教室に子供が多くなると、質をメインテインするのが、非常に困難になります。ドロップアウトしやすい環境を作ることにもなるし、教材がない中では個別対応が何より重要になるのにそこが甘くなる。
学問的な教える技術ももちろん大事だけれども、教師としての求心力が求められてくる。
それには、教師がその都度問題を相談できる仕組みが必要で・・・なんとか、地元でがんばる教師と、うちのNGOで長年スラムで働く教師の人や公立学校の教師との連携構造を成立させようと。そこが私の仕事。
「必ずしもベテランが現地にいる必要はない」「情報・知識などノウハウが現地に移動すればいい」という、ダルコーモデルの基礎を利用する方針でいってます、今のところ。NGOの方の反応も、今のところ上々。
課題は、この関係を維持してくだけのこまめなリンクを、NGOに実践してもらうこと。
なんつーか、言うは易し、行うは難し・・・よね。ほんとにorz
このごく単純な構図、成立するまでに二か月です。二か月。オンライン討議ですよ。便利になるのは技術だけだよなぁほんと。




さて、一番大事なのはプロジェクトの対する現地の人々の反応ですね。
初めていったとき、完全にパンダを見つめる瞳で凝視されてたんですが↓(しかも無言で)
IMG_1881.jpg
最近は、期待が多すぎてむしろ怖いです。
今まで、それなりにサークル活動とかしてきたけれど、こんなに相手に欲されて、相手の人生に影響をあたえうる、そして大きなお金や人が動くこと、したことないよ。私。経済効果ははっきりとはないけれど、子供や親の希望が、目に見える。
重いけれど、やりがいがある。


現地入りできないのが残念すぎて腸が切れる思いがするけども
冷静に。冷静に。
私の存在は、現地になくてはならないものじゃない。それがあるべき姿で、喜ぶべきことなんですよね、実際には。現地でになってもらわなきゃ困るんだもん。
デニースがうまくやってくれてるので、本当に感謝するべきです。
ま、若干無理やり自分を納得させてる感はありますが、長期的視点が欠落しがちなのが、私の悪い癖であることは、たしかだからなぁ。



さて

デニースとSMU(Singapore Management Univ)の愉快な仲間たちは、12月8日から26日の間、現地で学校入りします。
当初は建設を担うことを考えてたんですが、村の政府の代表で、建設会社もってる人と話がついたみたいなので、建設はそちらに移譲。
デニースたちは、現地にいって、子供たちの教育に対する意欲をスパークすることに専念するそうです。
簡単な英語や数学、美術技術に科学を、学校で教えるわけですね。。。。。それに先駆けて、彼らには簡単なベンガル語スパルタコースを受けてもらう予定。
何事も、楽しまなきゃ子供の足は遠のきます。もともと学校教育の環境がないならなおさらね。
12月にインド行きたいとか思ってる人いたら、ぜひご一報を。笑
問答無用で、デニースが連絡とりたがると思いますよ。
[2008/11/08 01:11] IN KOLKATA(写真つき) | TB(0) | CM(0)
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