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インドビザ 

インドのビザ申請にいってきました。まだやってなかったのお前・・・と言われそうだけども。
私は観光ビザで入国します。発効日から六ヶ月間有効なので十分余裕あり。


東京は茗荷谷というところにある、ビザ申請センターにて。去年の11月から、ここが大使館にかわってVISA申請関連を請け負ってます。御茶ノ水女子大とか跡見女子とかがある辺りですね。
地下鉄丸の内線茗荷谷駅を降りて池袋方面にすたこら歩いていくと、右手にインドの国旗がはためいてるのが見えます。ものっそい地味で簡素ですがここがビザ申請センター。旗なかったら通り過ぎそう。

ここでの申請受付時間は、朝9時から12時までと、午後1時半から4時まで。
私は午後一時半にちょうどつくように計算して行ったもんで、全く待つことなくすんなりと手続きを済ませられました。時期にもよるんでしょうが、私のほかには4人ぐらいしかいなかったかな。
必要なものは、パスポートと申請用紙と、パスポート用サイズの照明写真、実費1950円のみ。申請用紙はあらかじめ申請センターのHPからダウンロードしておくと、なおすんなりいくと思います。
午前中に申請すれば、その日の5時半~6時に受け取れるけど、私は午後セクションで申請したので、翌日以降の五時半~6時に受け取り。
また茗荷谷までがたんごとんと行くのも、まぁ、それほど手間ではないし。なにより桜が非常に綺麗なので、月曜にでもまた行ってきます。
で帰りに秋葉原で新しいデジカメ買ってこよう。




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昨日は友人三人が実家に泊まりにきて、夜通ししゃべり倒してました。受験時代からの友人には、視点にどこかしら安心感があって、つい甘えてしまうけど(うち一人は日本きてからであった人だけども)・・・出発前に精一杯甘えさせてもらったw
ただ深夜アニメは大人数で見るものではないということを再認識。突っ込みどころが多すぎる。だんご大家族にそんなに深い意味があるとは知りませんでした。なんのことやらわからない人はどうかそのままで。

勿論純粋に素で楽しんでるんだけど、彼らの話を聴きながら得てるものは多い。
経済の知識とか各大学の中の様子、日本の政治についての見解とか・・・効果的なプレゼンの方法とか、業界の話。私がおろそかにしがちな部分の知識がぽんぽん出てきて、多少焦りつつ感謝してます。アンテナは広く張ってなきゃと痛感する。


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ぼちぼちインドのパッキングをはじめよう・・・と、買出しのために川崎に頻繁に出没してる今日この頃です。あなどれない川崎ラゾーナ。なんでもそろう。
昔から使い込んでたバックパックと旅行用のサンダルが、知らないうちに廃棄処分されてたという大ショックが・・・あったもんで・・・新調することに。ちっ!「まだ使うつもりだったのあんな汚い袋」といわれたけど、ちょ、暴言だ・・・orzバックパックは肩と背中になじむまでに時間かかるのになぁ。
仕方がないので、NORTHFACEでまた買うつもりです。あしたあたりいってこよ。

いろんなとこから情報収集して、もってくと便利なものはある程度チェックしてあるけど、荷物は最小限に抑えるつもりです。経験上、現地である程度買えるしね。
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[2008/03/28 23:19] 渡航前 | TB(0) | CM(2)

国花が咲きそう 

sakura.jpg

半年ぶりに東京の実家に戻ってきてみたら、家の前庭の桜が早くも咲き始めてました。そっか、京都より東京の方が早いのか。
NYにも桜はあったけど、日本の繊細な桜じゃなかった。もっとぶわっと咲く種類でした。色も濃かったし。
ベランダの目の前に桜の花がくるので、景色としては素敵です。
ただ美しいと思うと同時に、正直毛虫シーズンになる前にインドに旅立つことになってよかったと思ってる人がここにいます。ひどいんだぞほんと・・・毛虫・・と夏は蝉・・・下を通るときは油断できないんだよ・・・


ちなみにインドの国花は蓮だそうだよ。
一億四千年前から地球上に存在してた花って、昔美術の先生が言ってたました。真偽のほどは知りませんが、それって白亜紀あたり?映像としては、あの蓮の鱗のような花びらが白亜の恐竜の世界に咲いてても違和感はなさそう。ただインドでは宗教上のイメージの方が強いんだとは思います。

国花って、その国の人に最も愛され、その国を象徴する花・・ていうけど、これ結局は
外交で必要だから決めてるだけって話でもあり(日本なんかは「当然桜っしょ」っていう慣例でさくら)。
何を美しいと思って、何を美徳とするかは国によって違うのは当然だけど、今の時代、同じ国に属するからってどこまで価値観って共有するものなのか、いつも気になる。気になるだけで、まとめて意見にできるほどの見解も思いつかないから、いつも消化不良で終わるんです。
罪のない蓮の花ぐらいならば、きっと共通して愛でられるんだろうとは、思うけれども。



アルンダティ・ロイの「the god of small things」の表紙も、薄暗い池に浮かぶ蓮の花だった。
インドに行くにあたって、読んでおいてよかったと思える本の一冊です。そのうちレビューでもかこうかな。MIXIにはあがってるから、こぴぺすればいいんだけど。




月並みながら、折り紙で蓮の花作る方法を調べてきます。
昔は結構折ったはずなのに、もうあまり覚えてなくて・・・鶴と風船ぐらいしか作れない自分に唖然。きっともう、あやとりとかもできなくなってるに違いない。
サークルで学生祭典に参加したとい、言葉の通じる日本の子供に鶴の折り方を教えるのでさえ、かなり難航した覚えがあります。インドでどこまで通用するかわからないけど、まぁ、やってみよう。
[2008/03/25 22:18] 渡航前 | TB(0) | CM(0)

empowerment through learning, knowledge as power. 

「NGO大国インドー悠久の国の市民ネットワーク事情」
斉藤千宏・編
明石書店
ngot.jpg

NGO大国インドの、全体的な活動、歴史、ネットワークに触れつつ、個別具体的な団体の活動をみていく形。

インドのNGOは住民同盟的で、その数の多さと比例して実効性をもたない団体の多さも際立ってる。
そんなインドのNGOの中でも、政策提言をするような、かなり影響力のあるNGOに関する情報が多い。
どういう風にして、実際的なニーズをもたらす団体から、戦略的ニーズ(政策を変えさせるほどの変革をもたらす)を満たす団体になるか、具体的な事例をもとに検証してます。
現地的・実際的ニーズの補充は勿論大事で、そこが出発点ではあるべきだけど、
他地域でも共通して見られる問題が根底にあるなら・・・ネットワークを作って、官に提言する力があったほうがいいことを認識。
NGOは大きくなる必要なし!という見方も勿論できるけど、そこは、組織の目的を何に置くかで変わってくるから、一概にはいえないかと。

読んでて思ったのは、NGOの性格上、
「住民同盟として実際的ニーズを円滑に満たしていないと、次のステップに進めない」
ということかなぁ。
カリスマ的なリーダーに率いられて大きくなった団体もあるみたいですが、
1.信頼という形での実績と
2.第二段階への展開の必要性の実感
この二つを確立することは必須なんだろう。
その上で、メディアとか政府とかと連携して問題意識を広めていけばいいのではないかと。
こんなこと色んなとこに書かれてるとは思うんだけど、この本では具体的な活動例が用いられてるんで、これからインド行く人としては「使える」と思う情報が多かった。




気になったのは、半官半民で行われてる、識字キャンペーン。言葉・数字を読めるか読めないかは、所得以上に寿命にまで関ってくるのはちょっと考えれば当然の事。そしてインドは世界でもっとも非識字層が広い。
で、この識字キャンペーン(KSSP)。民間からのイニシアチブでスタートしたものです。
NGOと官が組織して、国民皆識字計画(NLM)を実施してるんですが
ローカルに計画をになうのは、ZSS(県識字委員会)。ここの構成員がローカルNGO。
教育開発やボランティアの訓練、キャンペーンの盛り上げや、計画のフォローアップや第二段階の展開提案(この辺は、私がカルカッタで働く際に注視できることだ)などなどを、実際に決めていく。
ここで重要になってくるのが、「俺たちの仕事」としての意識を根付かせること。
文字を「教える」のではなくて「普及に、社会の皆の力を貸してもらう」形をとるわけですよね。NGOは、日常の悩みや経済的困難なども聞きながら、柔軟に戦略を変えてく必要がある。その意味でも、カウンセリング(医学的意味ではなく)ってやっぱり大事か。

うまい形で官を巻き込んで、実施はローカルレベルで行ってる形態。非常に興味深かったです。
実際的ニーズと戦略的ニーズを、ネットワークを組むことで両立させてる。これ、組織的に肥大化することなく実現するのは、非常に難しいことだと思う。



ケーララモデルと言われるものも、非常に興味深い。
ケーララ(南インド)では、現地の言葉で科学を民衆のもとに!ってのを理念に、定期刊行物発行からはじめて、大衆運動にまでもってった。行進とか路上演劇とか、教師への働きかけ・・・色々とヒントになる情報が沢山ありました。
ケーララ州の教育が良い!というのは、経済学部のゼミを聴講させてもらってたときに、ちらっと勉強してたんだけど、ほんとにここの州は識字率が先進国並。1900年初頭で、女性の教育レベルが他の地域の七倍っていうのも驚異的な数字。
乳児死亡率が低いあたりにも、比例性が見られるそうです。
ただ、成長率が低いんですよねー・・・この辺もうちょっと調べたい。






ちなみに今日の日記の題名は、PRIAっていうNGOの理念。
私の考えてることそのまんま。教育って本来、こういうもんかと思う。






*******自分用メモ*****
VANI:Voluntary action network india
VHAI: Voluntary Health Association of INdia
PRIA: Society of Participatory Research in Asia
[2008/03/19 02:04] インド関係書籍・資料 | TB(0) | CM(0)

祝・AN交換終了 

そういうわけで、AN(AcceptanceNote)交換が無事に終了しました。
これで正式に、受け入れが決まったってことですね。いやはや長かった・・・


私が行くのは、READS(Rajabazar Education and Awareness Development Society)という、カルカッタにある小さな団体。といってもカルカッタではよく知られたとこらしい。
スラムに拠点をおき、児童労働やトラフィッキング、その他様々な問題を抱えた子供達の教育支援、移民や貧困層の女性達の職業支援を目的としてる団体です。教育のほかにも公共衛生やカウンセリング、まぁインドの地元組織に多い包括型な仕事をするとこです。

私のペーパー上の仕事としては、
ファンドレイジングに加えて、
進行中のプロジェクトの運営、新しいプロジェクトの推進・運営、
その為に企業と交渉エトセトラ・・といった感じ。Neatなシャツをもってきてねといわれたのは、そういうことか。
プロジェクトの実施として、スラムの子供達や女性達とinteractしに行くことも含まれてます。
上述したように、よくいえば包括的。長短はいつだって表裏一体なんで、それは悪く言えばまとまりがないってことでもあって・・・と思うのはきっと部外者としてみてるからで、現地にいったら、その在り方が現地のニーズに適してるのかもしれない・・・ていうのもあくまでも今の時点での思いで・・・
と、
今ここで考えてもエンドレスです。うん。
重要なのは、ニーズを聞いて私がどこでどう動くかを選ぶことだなぁ。求められたことだけしてるんじゃまたそれも違うかなぁと・・・・あぁでもその辺は難しいね。随時柔軟に。



半月ちょい後にはもう見知らぬ土地で暮らし始めてるとか、まったく実感がわきません。いつだってそうだけど・・・。




************************
チベットの動向がとても気になります。インドの地図ながめてたらなおさら。
友達の話しによると、中国の最大ポータルサイトのニュースページにはチベットのチの字ものってなかったそうだ(昨日の時点で。
情報封鎖なんですかね、これ。

たとえばケニアに行こうと思ったらケニアで暴動がおき
チベットに足を伸ばそうと思ったらチベットで暴動がおき
自分が行こうと思ってるとこが相次いで暴動に見舞われてるような錯覚をおぼえがちなんだけど(私は)
違うわな。
世界では深く根付いた、解決されない剥奪の歴史があって
それを根に、秒単位で問題が発生してて。
それなのにちょっと気を抜くと自分の視点がすごく内にむかって落ち着いてるから、ニュースに載る暴動が点として目についちゃうんでしょうね。・・・・力に訴える暴動があまり発生しない日本の方が珍しいだけなのに。
視点が逆だ。
[2008/03/15 15:09] 渡航前 | TB(0) | CM(2)

雑記でしかない 

友人が遊んでたの便乗してみたらこんなもん出たtimi.jpg

おいいいいいやめてくれよほんと
なんで拉致監禁ダブルカードだよ!使えってか!
非常にタイムリーなキーワードで不吉すぎます。消息不明と拉致監禁とかなかなか出てこないだろう!ほかにもっとあるだろう・・・増毛とかそっち方面に和むやつ・・・・

思えば、去年は研修予定前に急性腸炎で入院して水に流れるわ
今年は今年でケニア行こうと思ってたら暴動起きるわ、インド行き決まったらヘルニアが発覚するわ
「これは日本から出るなという神様の警告なんじゃなかろうか」と真剣に加茂川を眺めつつぼーっとする22歳。そんな神様はいやだ。
拉致監禁と消息不明カードをきらないように気をつけなければ・・・

ラージャスターンとか、パキ国境側の砂漠地帯に、行きたい気持ちはやまやまです。病的なまでに整然とした形が美しいタジマハルより、砂くさい遺跡のような街の方に興味があるもんで。
でもねぇ・・・男一人旅と女一人旅は、やっぱりちょっとリスクのでかさが違うやんなぁ。日本にいると忘れるけど、私も一応20前半の女子なんだよなぁ。
とりあえずまだ一人旅初心者な私には、早い地域かなー・・・拉致監禁と消息不明ダブル使いとか、笑えないよ。



*******:*****************

インドに留学してたゼミの先輩のつてで、PUNE(ムンバイのあたり)にあるストリートチルドレン支援のNPOにお邪魔できるかもしれない。というか「お願いですからコネクトしてくださいものっそい興味あるんです先輩先輩先輩」と卒業旅行中の先輩にお願いしたんです。とんだ後輩だ。
相手団体の理事の方に、柄にもなく緊張して真面目な英語メールを書いたら、緊張しすぎてか送信ボタン押すと同時にどっと疲れが・・・だって・・・同じ対象に熱意を抱いてるけど自分よりも凄く頑張ってる人に、自分のことについて書くのって、凄く悩む。エントリーシートってこんなかんじなのかしら。
ホームで少数の子供達を丁寧に育ててる団体で、非常に理念とかactivityに共感できるところがあって、興味津々です。何よりもこの団体、学生のイニシアチブから発生して、今や国際的にその活動拠点を置く姿にまで発展してる。すごいよ。
カルカッタの子供達、それから日本の子供達と、なんらかのつながりを作れたらいいなとも思ってるので、本当にいけるといいなぁ。
カルカッタからプーネまでは、なんと鉄道で36時間ほど(ムンバイで乗り換え)!インドを横に横断する感じだしねぇ。
飛行機でいけばいんだろうけど、金ないんでたぶん鉄道です。いいよまったりいくよ。。。。


ちなみにプネーから四時間いったところにあるムンバイには、海と見事な美術館群、
ムンバイから八時間ほどいったところにあるエローラやアジャンターには、私の好みドストライクな石窟群がある。絶対行くなこれ。
仕事が第一目的なので、研修全終了後、荷物だけトレイニーハウスに預けて、ムンバイ周辺うろついてこようかしら。


さて
他にもカルカッタにあるNGOとか調べておこうかな。とは思います。
情報は持って歩くことに越したことはない。
*********:::*************:**********:



予防注射は先週全部とりおわり。
狂犬病は数が少ないみたいなので、受ける人は早めに確認することをお勧めします。

VISAは帰省してから、東京にある申請センターで取得する予定・・・大阪にもあるんだけど東京の方が勝手が良い。証明写真はこっちでとっておいて、申請用紙はダウンロードして記入しておけば、申請しに行ったその日のうちにとれるはず。


当面の問題は、航空券。
東京の成田空港から出発する予定なんだけど、タイ航空だと深夜カルカッタ着しかないのが判明。
しくった・・・これカルカッタAIESECの迎えがこないという大きなフラグだよ・・・
シンガポール航空使うと高いうえ、そんなにカルカッタ着時刻も変わらないしなぁ。
空港周辺のホテルで一泊しなきゃいけない羽目になるかもです。さてどうなる。カルカッタを初日に深夜徘徊するのは危険すぎると判断します。

あと、お金の管理。
ATMで随時引き落としが一番簡単なんだけど、カルカッタはスキミング被害が多いらしい。先輩達は大体ATM引き落としみたいですが・・・どうなんだろう、この辺の事情。
父親は現地で口座を開けといってくるし・・これも早く色々情報集めて考えなきゃな。



ほんと雑記ですが、こんな感じで毎日何かしらはインドのこと考えてます。

[2008/03/13 00:52] 渡航前 | TB(0) | CM(0)

読んどいて損はないと思う本 

企業研修でもなく、専門的知識を求められる仕事に就くわけでもない私の研修は
かっこいい言葉で言えばジェネラリストとしての資質が問われ、現実的にいえば「できるためにはなんでもやれよ」というものです。後者の方が私っぽいです。
企業の利益を考える職員としてではなく、そのコミュニティの利益を考える一人間として(組織の中の一人であることに変わりはないんだけど)動かなければいけない以上、
関る対象へのまなざしとか、自分の素の部分を鍛える必要が、どうやらありそうで。
そんな、まなざしを鍛える為に自分的に役立った!と思う本のの読書メモを、今後つらつら挙げていこうと思います。あちらで自分のブログを見て色々確認するのにも、役立ちそうだしね。



*********::*********::********
「働く子どもたちへのまなざしー現代世界における子どもの就労ーその分析と研究」
Michel Bonnet、堀田一陽訳
社会評論社
manazashi.jpg




これは、児童労働やストリートチルドレンに関与する研修を受ける人には、必読かと思える一冊。
働く子どもたちの現実をとらえながら、彼らにまなざしを向ける人々の直面する問題を、縦横に語ってます。

児童労働=悪、と決め付けて、子供を庇護の対象と捉えるんじゃなくて
彼らを貧者全体の一部と捉えることで、実際の彼らの姿を見ていこうと提唱します。

子供達が恐れるのは、危険な労働条件よりも、生きるコースを外れること。
子供達は、はたらきたい。
そして同時に、勉強をしたい。
理想は、仕事することで幸せに生きていける世界なんです。書く能力っていうのは、力の象徴だから。
働く子供にとって、就労は基本的権利であり、生きる権利の一部となってる。それが、七億の貧困児童の現実。



「どんな子供も労働から話されなければいけない」、だって「労働は有害だから」という視点の危険性も非常にわかりやすく説明してます。
認証ラベルにネガティブキャンペーン、NGOプロジェクトやILOの見事な標語、寄付にバザーに・・・って盛りあがる集まりを見ると、なんだかどこかで違和感を感じることがあったんだけど、
「牛の前に牛車を置くな」というこの本の内容に、あぁ、そういうとこで自分はもやもやしてたのか。と霧が晴れた思いがしました。
児童労働と労働運動が、結びついてないんですよね。「労働者」として子供が捉えられてない。基本的な現実が、そこだけすぽんと抜け落ちてるから、子供が問題からとりのこされていく。
きつい言葉でいえば、当事者ではなく、大人の政策のための人質・道具みたいなものとして周縁化されえる。
「北では、“働く子供達”から“児童の労働”へと問題が一般化されてしまう。彼らの写真は、問題を象徴する一種のロゴとなる。生きた人間ではなくなるのだ」
わかった気になってイデオロギーや人道主義に引きずられて出した解決策は、富や力で計画作ろうってとこにおちつく。認証ラベル信仰もいいけど、問題はもっと複雑だ。
働く子供を、客観的実在として、捉えていますか。そこを、一歩とまって考えるべきじゃないか。
勿論劣悪な状態で働かされる子供も多いから、それは「健康を害する」労働として叩かれなきゃいけない。でも、多くの子供の「就労」は、大体は家族枠内で行われるって点も、是非留意してほしいとこです。                                        



                                                           
「子供と共に歩くとは、子供の疑問を真剣に受け止め、自分の生活に置き換え、大人の方法で大人の世界に参与し、回答として彼ら自らの参加を提案するという一連の姿勢」。
本質的な解決には、子供自身の参与が必須。歴史の上でもいつだって、苦しむ人同士の連帯を固めることが、解決方法への唯一の方法だったでしょう。
そうかんがえれば、
子供は恩恵の受けてではなくて、あくまでもパートナー。
「一人の人間として歴史をもつが、そのスタートポイントを私達の歴史に決められた個人」なんです。だから大人は参与する必要がある。こどもと共にね。



とまぁこういった内容です。
インドに多い債務奴隷の話や、政府・国際機関の姿勢、こどもの親や企業側の戦略なども詳細のってますので、多面的な理解ができます。
じゃぁ一体どうすれば?という解決策は提示してないけど、それは私が現地にいって導き出すことだと思う。

ちなみに
児童労働を考えるにあたって、念頭においておいたほうがいいのが、本書でも繰り返しでてくる96年の「クンダプール宣言」。
その主な主張は、「ぼくたちわたしたちは、労働搾取に反対しますが、教育と余暇の楽しみにかなう時程をもった品位ある労働に賛成します。」って文面に出てるかと。こちらも参照してもらうと、より理解は深まるかと思います。





私は、研修先でも自分のまなざしをもとに、現地での教育や組織運営に携わるわけですよね。
帰国したら帰国したで、自分のまなざしで見てきたものを、色んな人と共有するわけで。
気をつけすぎることはないと思うから、最大限の注意を払っていこう。現に今の時点で、色々と反省させられる点はあったしな。
「教育」によって、彼らが知りたいことは何だろう?




*************************************
相手からAN(研修契約みたいなもん)が送られてきてやっと正式に研修決定!
とみせかけて、正式な判子がついてないというナイスなフェイントをかけられました。
ボルネオ中のわがSSに代わり、代理のコが即座に対応してくれたので、まぁ近いうちにちゃんと契約完成することでしょう。
また正式決定したら、研修先について色々書こうかな。
[2008/03/09 00:18] インド関係書籍・資料 | TB(0) | CM(0)

the truth of Mother Theresa 

mother.jpg

用事があって生協本屋にいったら、TIMESのバックナンバーフェアをやってました。
インド特集とマザーテレサ特集があったので、「ちょうどいい」と購入。最近インドについてばっかり読んでて、相当頭でっかち化してます。面白い国ですね、ほんと。


マザーテレサというと、大概の人のイメージは「聖人」に近いものじゃないですか?
貧しい人々のために愛を捧げた、愛と信仰に満ちた女性。彼女がノーベル平和賞を受賞しないで誰がする・・・といったような。
彼女の公での言葉は好まれ、いたるところで人々のモットーとして選ばれ、使われ、理念化されてる。


その彼女が、没するまでの50年以上に渡り、神の存在を感じていなかったといいます。

”I have no faith....The saving of souls holds no attraction....Heaven means nothing...pray for me please that i keep smiling at Him in spite of everything."

多くの人がマザーに抱くイメージとは真逆といっていいこの台詞は、彼女が牧師に宛てた手紙にあったものだそう。
カルカッタでの活動を始めた、丁度その頃から、彼女は神の存在を見失った。「闇」や「渇き」や「孤独」や「torture」といった言葉が彼女の手記には増え、文面から読み取れるその精神的苦痛は、読む人にも伝わるほどです。
マザー本人も、自分の本心と表に出す顔との差を自覚していて、罪悪感に二重にさいなまれた。
それでも、信仰と愛を捨てなかった、神の姿が見えなくても神の愛を信じた。
"I have come to love the darkness - for i believe now that it is part of a very, very small part of Jesus' darkness and pain on earth He wants to go through the agony in me."
マザーはそう思って、闇と共に生きることにしたみたいです。
聖人というより、人間的であるからこそ、なんていうんだろ・・・・こう・・・あやばい言葉にできない・・企画倒れだこれ・・・
特別な何かじゃない、具体的な、誰にでも共通する愛情を感じる。気がします。つたない表現力ですいません。


感じたことは色々あるけど、感じるものはひとそれぞれだろうから、あとは自粛。
九月の記事ですので、興味ある方は図書館でほっくりかえして見てください。


マザーに闇を見せたのが、カルカッタの状態だったのか、マザー自身の自分への評価だったのか、わからないけど・・・
そんな具体的な痛みと愛情を抱えて、マザーが動き回ったマザーハウスが、カルカッタにありますね。
カルカッタ生活四ヶ月の間、仕事に余裕ができてきたら、継続的にボランティアに行ってこようかと思います。トレイニーハウスからどれだけ遠いのかわかんないけど。



私は今から、自分の中の常識だとか信念だとか価値観だとかがめっためったにぶっ壊される予感がしてます。インドで。
ある程度柔軟だとは思ってるけど、どっちかっていうと、内向きな崩壊がなー・・・大きそうだな。
再構築して何が芯に残るのかな。


**********::::**********:::::*********::::
で、マザーに関して読んだもんだから、色々と思い出してしまった。
ここから先は普通に独り言でしかありません。



「日本人はインドのことよりも、日本の中で貧しい人の配慮を優先して考えるべき。愛はまず手近なところから始まります。」
これが、マザーが初来日した時のコメントです。
私はこの発言を本で読んだ時、ほんと色々と悩みました。ある意味、それまで自分が興味持ってたことが間違ってたような、そんな思いを抱いて。初めて自分の視点を相対化できた瞬間かもなぁ。
元々人生の半分以上を日本から離れて暮らしてた私は、物事を見る視点の出発点が、日本になかった。じゃぁどこにあったかと言われれば、ある意味、どこにもなかった。常に自分出発だった。英語のハンデが少ない分それが可能で、ある意味問題が根深かった。
いきなり「日本に視点をおけ」といわれても、苦しかったのが本音です。
でも結局、私のルーツは日本にあって、母国のことを知らなきゃいけないのは不動の事実やんね・・・と思って、一時、それまで調べてたアフリカの紛争地帯のDDRのこととかをほっぽって、釜が崎のことや日本の児童保護施設の事情etc、海外で興味があったことの日本版について、色々と調べたんだけど、
義務感でやっている感が自分の中に感じられて、さいっていな気分になりました。自分がさいっていだと。吐くかと思った。
そのうち自分を無理矢理「日本」に向かわせようとするほど、どっかに違和感が生じて、「これはマザーが言いたかったこととは違うような・・」ときづくにいたりました。


色々とスパイラルした挙句、国で物事を見るのも、これまた視野が狭いんじゃなかろうかと。
視野が狭い・・・というか、自分的に無理が生じる。
大きな問題に対してアタックして、それが国内でも問題となっているなら、問題意識をもって取り組むべきだろうと。
同じような出発点で、それまでとは明らかに違う感じがして、自分でも納得できた。「Think globally, act locally」ってよく言うけど、それともちょっと違うのかな。

で、私の「think」の対象は、子供を第一に考える国際社会。
そのための開発における教育の役割、だったんですね。この場合の開発は、経済・社会両義です。
サークル活動も、スマトラ沖地震後のインドネシアでの児童への防災知識普及からはじまって、「でも国内の断層地帯の子達も、地域のどこに逃げればいいかとわかってないんじゃないか」って視点から国内に拡げてく先輩達に共感して入った。
「知識がないばかりに命を落とす子供がいる実情」への問題意識を、国外の災害から、国内へ拡げたわけです。
人によっては「出発点が逆だろう」と言うとは思うけど
ニュースを見て、できることがあると、その時は思ったんだ。今もそう思ってます。


今回の研修も、なんでインドな必要があるのか?(元々アフリカだったけど)プロでもない私が行く意味はあるのか?とか色々聞かれることはあります。
先にあげた私の「think」の対象から考えると、日本よりも途上国の地元組織の方が、学ぶことは多そうだと思ったのも事実だけど(草の根の世界を知りたいわけで)
大層なことは考えてないのが本音です。色んな動機が入り混じって、どれが先でどれが後にきた動機なのかも微妙なとこです。
ただ、知っていた気でいた問題の現場に身を投じたいってのは、大きい。
純粋に知りたいと思うことに取り組みやすい時期のてっぺんが、今なんじゃないかと。甘ったれた学生は思うのです。


自分に何が差し出せるのか。自分が何を問題だと思うのか。自分はどこで動くのか。
これらに関して、「あるべき姿」も「正解」も「まちがい」もないんだと、私は解釈します。マザーが言いたかったこともそうではないと勝手に思う。
身近にある問題を見ないで、ただ「海外での援助活動」っていう絵をpraiseするのは、問題だ。
大きな視点から出発すれば、いつか自分の国の問題とだってぶつかるわけですし、
国内国外にあんまり囚われず動けたらな。と今は思ってます。




はぁ長くなった。
そういえばSSさんが今日、ボルネオに旅立ちました笑。無事に帰ってきてね~!
朝、空港から「これから搭乗します!」とメールが来たのに、寝過ごして返信できなかった私は、完全に春休みの生活リズムです。ごめんなさいorz
[2008/03/04 17:16] インド関係書籍・資料 | TB(0) | CM(0)
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