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ムンバイに思いを 

以下、疲れた頭でかいてるので、すこぶるまとまりないです。
むずかしい話は期待しないでください。むずかしい話は本読めばいいからね。
あくまでここは、虫の視点で。

===============
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ムンバイのテロ事件。
インドで知り合った友人に、ムンバイやデリーを行ったりきたりするビジネスマンが何人かいたので、その安否と事の行方を非常に心配しながら、日々のニュースを追ってました。
と同時に
インド人の今回のテロへの反応に、ちょっと・・・不安も覚えました。FACEBOOKでの発言とか、本人を知ってる分おおおおおと思うことが。。。
イスラム教への憎悪の連発。「テロリスト」ではなくてイスラム教への言葉。悲しみを超えて怒りが見える。

外国人を狙ったテロって日本では報道されてるけど、インドでの人たちの間では、あんまりそこは重要視されてないようで。
個人的には治安当局何やってんのって思う方が先なんだけど(今年始めの西部連続テロとか、警察馬鹿にされてるの丸見えだったし、実際あっち行って思ったけど治安守る気ないんじゃないかと思えるような警察だったりします。テロ後も。)、そこもあまり今は議論になってないみたいね、民衆の間では。


「イスラム過激派の犯行」っていう事実が、日本では考えられないような憎悪を呼ぶ国です、あそこは。
よく、インドは多宗教が共存してる、寛容の国だ・・・って言う人がいて、実際にインドの人たちも、そのことを誇りのように口にすることが多い。日常の上ではあからさまな対立とかは、あまりない。
でもやっぱり、生活とかを見ていると、イスラム教徒の人たちの方が、ヒンズー教徒の貧しい層よりも厳しい経済生活を送っていたり。プンジャービーとかキリスト教の富裕層はいても、イスラム教はなかなかいない。でもスラムの中は、イスラム教徒が相当多いです。
ヒンズー教の人たちのちょっとした会話の端々から、イスラム教徒への反感が垣間見えたりは、日常だったし。イスラム教徒の人たちは、そこまであからさまにヒンズー教を嫌悪はしないけれども、どこか迫害されてる意識があるのは、これまた会話から推察できました。
パキに近い地域の出身の子が、そのての話題にすごく敏感に反応するのも見て、驚きもしたし・・・「俺はイスラムじゃねぇ」みたいな。聞いてないのに。


ヒンズー教って、本来はすごく寛容な宗教なんですよね。神様はたくさんいて、異教徒の神も神は神・・・みたいな。結局は自分とこの宗教の中に他のものを内包して見てるわけだけど、それでインドは今もいろんな宗教がありえるわけで。
イスラム教の方も、本来なら攻撃性とは無縁の宗教です。モロッコの友人に色々話を聞いて、いまだにちょっとわかってない部分もあるんだけどね。
あっちにいる間、夜がひたすら暇だったから、宗教書とかも読み漁ってたんだけど、読めば読むほど「じゃあなんでこう衝突ばっかするんだ・・・」と空虚感が・・・・
宗教はそれ自体は完璧なんだけどね。高潔で。
それ壊すのって、人なんだよね結局ね。
歴史ってのはあくまでも解釈の産物じゃないかと私は思ってます。すべて事実だとしても、事実の取捨選択と因果関係とか、前編にわたって語り手の手が働く。その紡ぐ物語が、真実として語られると、どこかで齟齬は起きるもんなんでしょうか。



長い歴史と、今の社会の構造。
いろんな要素が入り組んで、宗教は本来の枠を超えて他の宗教とぶつかる姿勢をとっていくんだということが、日本にいるとあまり実感としてわかない。
新興宗教がらみの危ない事件はあっても、「普通じゃない人たち」がやったこととして認識されがちだし・・・・多くの生活者が宗教を理由に憎みあう構図、飲み込めても理解はできない。
だからインドにいて「お前はどう思う」といわれても、「みんな仲良くできるように話し合いましょう」とかいうどこの鼻につく優等生だお前は・・・みたいな意見になってしまってました。
そういう意味で私は完全なるよそ者だったから、それを逆手にとって、思う存分両方の話も聞けたんだけど
「自分だったらどうか」が具体的に想像できないあたりが致命傷だと思う。
客観視できないってのは問題だけど、主観もってないってのも結構問題だと思った。



まぁ勿論、根底には、社会環境の是正とか政府の対応不足とか大きい問題もあるんだけど・・・・インドの人にとって、政治はすごく遠いものなんだって、あっちいるとき痛感したんだよね。
日本の若い人も大概政治に興味ないと思ってたけど、インドも似たようなもんだった。ただ日本と違って、政府=腐敗っていう構図が浸透しすぎてるからのように感じた。
でも、ここでやっと、学生中心に政府批判もあがってるらしい。
政府が政策実行したからといって解決する種の問題じゃないですが
せめてその姿勢は見せようよ。とおもっちゃうよ、やっぱりね。
今後に期待。



もちろん
言ってしまえば、上のたわごと全部、私の経験(人との対話)の中から生まれた言葉で。
個人的経験の限界があるから、上がインドの真実だとは、勿論いえません。そこはご了承ください。インドは本当に広くて、私が知ってるのがごく一部。どの階層・宗教も網羅した人たちに話はきいたけれども、現実は複雑で多様ですから。
=================================================================

インドは国境沿いに数多くの問題をはらむ国。
東のダージリン、北のカシミール、西のパキ国境、そして全土のイスラム過激派・・・エトセトラ。
穏やかそうに過ごすおっちゃんらや、にこやかに過ごしてるおばちゃん、有能なビジネスマンたちに商売に大忙しな露天のおっさんたち見てると、なんだか遠いことのように思えるんだけどね。
ターゲットが外国人であっても、また内部の亀裂が明確になるのかと思うと、ちょっと、というかかなり、哀しいです。
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子供たちがこの先、安心して暮らせる国になってほしいです。



ほんとまとまりも知性も感じられない文章ですが
真剣にへこんでます。はぁ。
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[2008/11/29 19:23] IN KOLKATA | TB(0) | CM(1)

Project Kolkata 

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Facebookの方でもう知ってる方もいるとおもうけど
Project Kolkataが軌道にのりはじめました。
Kolkataの農村に学校を建てるとこからはじまる一大プロジェクトです。

前に一度、予防注射を届けに行った農村で、学校が遠すぎて子供たちを行かすことができない・・・という声を聞いたところから、話ははじまりました。
現在は資金集めの段階で、この資金をもとに、学校が建設されます。
デニースの学校SingaporeManagementUniversityがボランティア派遣のための資金を提供してくれるので、資金が集まればシンガポールの有志が現地に向かいます。
現在このコーズに賛同してくれる企業も三社みつかり(私がコルカタにいる時には一社のみだったのに、Thanx to Denise's effortですほんと)、Facebook上でもドネーションを募ってる最中。
この間に、
工学部関係のヒトに学校の設計図を書いてもらい、
デニースのが学校でメンバーを集めて渉外をしたりカリキュラムを考えたり、現地に再度赴いて、NGOが継続的に学校を運営できるように、ネットワークをつないでいく方法を詰めたりしてます。
ようやく政府の土地登録許可もとれたんですが、やっぱりこういうことは、インド人じゃないとややこしくなってくるからね。
私たちインターンも継続的にあの地に住めるわけではないし、ということで、やっぱり最終的にはあの地の人々が運営していくよう、方法を確立しなければいけない。


建物自体がたてば、インドの政府の補助金にアクセスができるようになります。インド政府は、建物がないところ=学校と認め、そこにある程度の補助金を出してくれる。






さも自分が全行程にかかわってたかのように書きましたが、
実際のとこ私が直接かかわったとこなんて、もうほんと微々たるもんです。
プロジェクトの発案・立ちあげに私も関わってたんですが、
帰国を機に運営から手をいったん引いたんだよね。残念ながら。
その時点では、計画が成立したところで、実行にはいたってなかった。
そのあとは、学校と政府が人的資本に補助金を出してくれるシンガポールの国の性質を利用して、
同じくインターンのデニースがひきついで
見事に形にしてくれました。
シンガポールからインドは安いし近いということで、彼女も年に何回か戻れる見込みだったので。
私だったら、こんなに早く、こんなにきれいな形でまとめられなかっただろうなぁと、そう思うほどに、うまく進みそうです。その辺はほんと、彼女のリーダーシップの賜物。
正直なとこを言えばちょっと、いやかなり残念!リアルタイムでかかわれないって、もどかしいなぁ。






このプロジェクトがはじまるまでには、本当にいろいろとあってねー・・・・
学校を建てるっていってそのあと継続的な支援ができずに金だけ使った企画倒れになった例がたくさんあるよ、とか
どっから金がでるんだ、とか
だれが先生やるんだ、とか
NGOがそのあともうまく運営してくって保障はあんのか、とか
現地の法律的にそんなに簡単に土地買えるのか、とか
インターン生それぞれの国が違うのに、どうやって継続的にこの話を進めてくのか。とか。
考えなきゃいかん点はたくさんあって、実現すべきじゃないって意見も多く出たのよ。
慎重すぎるぐらいPessimistの私と、無謀なぐらいOptimistなDeniseと。二人で一人とよく周りにはからかわれたけども
Pessimistは実際に計画を実現するということに関して、それこそほんとに悲観的だから。Deniseいなかったら、このプロジェクト、ほんと、企画倒れだったろうね。



そう
デニースは、楽観的です。
根拠ない楽観ではなく、それでもやってみようよ、こうやって!やれないことはないでしょう!という感じ。

人と共に過ごして、ともに働くことって、人の素晴らしいところを見ることで、自分の足りない部分に目を向けることだなぁと、改めて思います。
人をすごいと思うと同時に、自分にないものが見えてしまうとき特有の焦りみたいので、「ほんとダメやねぇ自分は」とへこむときもね!あったのだけれどもね、そりゃね。
だけど、「あずさいなかったらたぶん、この案件穴だらけだわ」って言ってくれた時には(酒の席で)、あぁ、そういうものなのですか。と、ちょっとお酒がおいしくなりました。
何かというと、実現可能性とかリスクとかそういう言葉で、自分の実現したいことを遠ざけるずるい大人な部分が、私にはあると、前々から思ってたんだけど
「できるよ」と引っ張ってくれる人がいなくても、物事を成すバイタリティ。
これ、当分の私の課題です。


がんばろうと思わせてくれる人が世界中にいることが、これが私の自慢です。
尊敬する人はアーネスト・ダルコーと、多くの友達です。みたいな。





このプロジェクトに関するお知らせを、facebookで友達連中には送りつけさせてもらいました。
何人もJOINしてくれたようで。この場を借りて、ありがとうございます。
興味あるけどFacebookはいってないというかたは、個人的に接触してくれれば、うざいほどに説明させていただきます。
私は日本では資金集めはしてませんが
サークルの友人のインドネシア人の子に、この話をしたらば
なんと彼女、すぐに直接デニースに連絡をとって、寄付の申し出をしてくれたとか。デニースから聞きまして。
あぁ、なんかこうやって意識の共有から広がってくんやなぁと
じーんときました。
無駄なことなんて何もないんだって、くっさい非現実なセリフだと思ってたんだけど
当事者意識と熱意と実現に見合うだけのコミットメントがあれば、真実だ。と思った。


今後もシンガポールとFacebook上、そしてインドの友人ら(学生とビジネスマンのネットワークがここで生きた!)から広がるネットワークで、
着々と進んでいく予定です。
はよ私も現地にかかわりたいもんだ。
やっぱり、帰国したとはいえ、あの地の子供たち見たあとでは、帰国してはい終わり、には、なれないよね。という共通の気持ちのもと、シンガポールのデニースのリーダーシップに率いられSMUの生徒たちをを機動力として、
中国のギャリーと
ギリシャのゾーイと
日本の私が
そのつど協力してる形になってます。
はやく実現するといいね。
[2008/10/24 01:03] IN KOLKATA | TB(0) | CM(4)

あーもう一ヶ月?まだ一ヶ月? 

こんにちわ。
先日、うまれてはじめてからすにどつかれたためすえです。本気でどつかれました。屋上に洗濯物とりにいったら、カラスの巣の近くを通ったらしく、本気でどつかれました。本気で怖かったです。あんにゃろう・・・・
この街はすずめよりからすの方が多いです。軽く恐怖映画のシーンみたいです。
私は今日も、低空飛行するカラスにおびえつつ、仕事場にむかうのでした。こえー・・・はんぱねー・・・





仕事は朝10時半から夕方五時まで。
今のところやってる仕事といえば、
FUNDレイズ
アンケート・インタヴューの作成と実行
ネットを通じて団体・教授とのコンタクト・連携・交渉
イベント企画(ただ今インターンが私一人なので事実上停止中)
コミュニティスクールへの出入り
たまにフィールドワーク(という名の見学)

・・・こんなもんかな。日々何かしらちまちまとやりつつすごしてます。
こちらに来て一ヶ月が経ちましたが、やっと上司にほっとかれてもやきもきしないようになりました。成長・・・なのかこれ・・・なんて低レベルな・・・・
ネットが通じなくなって、上司もどっかいなくなっちゃって、一人で留守番(鍵は上司が持ってるので部屋にいろといわれたわけで)してた時とかもう・・・「あれ私ここで何してるんだろう」と唯一の同僚・緑色のトカゲ君に向かって笑い泣きしたくなったもんだけどね・・・!今考えれば部屋の掃除でもなんでもいいからしてろという話。
図々しいまでに、しつこいまでに、自分が上司にやって欲しい最低限のことを、繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し!!!!伝える!!!ことで!!!!
やっと自分一人で動ける位置に立てるんだということを学びました。じゃないと「いえーすいえーす」で次の瞬間忘れられてるから。いやまぢで。通訳できる人を紹介してくれといい続けて2週間、やっと連絡とってくれたからね。
コミュニケーション能力とは何?と考えたとき、その分野だけはかなり鍛えられそうだなぁと実感した22歳です。会話が流暢にできることじゃないね・・・・・自分の意思を相手にちゃんと伝えて相手の意思をちゃんと読みとることだね・・・ほんと簡単に聞こえて実はできてない・・・・
コミュニケーションがちゃんととれてないことを放置してて、じぶんつかえねぇなぁと一人でぼーっとしてるのは、自分にも団体にもロスだしね。時間の。




________________________________
AIESEC KOLKATAについて少し書くと、
昨年度までのメンバーは相当面倒見が悪くひどかったらしいですが(フランク・談)
今年度・・・つまり私がお世話になってるメンバーは、「いや、ほんとすいませんなんか気つかわせちゃって・・・・」と言いたくなるぐらいの面倒見のよさです。ブラボーブラボー。
空港には5人で迎えに来てたしね。深夜12時近いというのに。しかも夜遅いからって一人のうちに泊めてもらったし。
こまめにチェックアップしてくれるし、「○○とかってどこで買える?」みたいな話をすると、すぐに一緒に行こう!という話になる。SSのSHREYAはほんと長年の友達のように日々話しできる間柄になってきてて、ほんと救われてます。ボリウッドスターの好みも似てると判明したことだしwおやぢ好みはどこの国にもいるもんだ・・・・・・
日本AIESECでは普通の対応かもしれませんが、インドのAIESECだとこれ、レアみたいですよ。

日本のように、色んな学部の生徒から構成されてるわけではなく、ほぼ全員経済学部・・という「あーインドっぽいねー」といった感じです。
AIESECのネットワークも、将来の自分のビジネスプランに結び付けて活用してるかんじがして、その辺も日本のAIESECの活用と多少雰囲気が違う気はします。
インドの知識層は、とにかく外へ外へ!といわれて育ってる。アメリカかイギリスか!って。日々コルカタの風景を見て育ったら、そう思わざるを得ないかもしれないな。豊かな家庭の子供であっても、日々この二つの異なる世界を見て育つんだもん。貧富の境界線は、乗り越えるのにはぶ厚すぎるように見えるんだけど、隣り合わせに立ってるからね。



そういうわけで(?)、AIESEC・トレイニーハウス・職場(・・はまぁ子供たちと先生たちと仲良くやってるという意味で)人間関係にも恵まれた生活です。
多国籍ですが、みんな何か目的があって仕事をしてる連中なので、互いに励ましあってやっとります。
同居人の中国人GARYとも夜な夜な語りあってます。ほかにすることねぇのんよー。しゃべってないとなぞの中国粥を食べさせられるのよー油断できないのよー
小泉首相と靖国の問題は、やっぱりくるか・・・という感じで議題にのぼったし(しかし靖国がなんでそんなに問題なのかを知らなかったGARY。小泉さんは唯一名前が知れ渡ってる首相だそうで?ちゃんと説明できてたのか心配でしかたないです)
封神演義を知ってるよという話で盛り上がったときは、やっぱり色んなもんよんどくべきだなぁと実感したし(いや、漫画も読んだけど本も読んだよ!言い訳しとくと!)
将来の話とかしてると、ひたすら感銘を受けることも、やっぱり多いです。日本にいる中国人の友達と言ってることが似てたり、目指してるものが似てたりして、あぁこの子には将来の自分のステップがちゃんと見えてるんだなぁと・・・なんかデジャブ的なアレが・・・・


英会話は慣れれば簡単ですが、国関係なく、濃い話をできると、やっぱり楽しいですよね。
世界中で、自分とおなじぐらいの歳の人が、それぞれの場所でがんばってるんだなぁと。
当たり前の光景なんだけど、それをイメージすると、自分も泣き言いってらんないなあとおもうにいたります。それでなくても私、泣き言いいなんで。






あれ、ちょっと時間あまっちゃったや。(今ネカフェ)
もうちょい書きますか?
今写真アップしようとしたら、やっぱりERROR。なんじゃろかー(涙
せっかくいろいろ撮ったのにな。



もうちょい書くと・・・っていうほどネタもないんですが・・・・いやあるにはあるんだけど、仕事の詳細かいてもつまんないしなー・・写真ないとやっぱりキツイねー・・・・
安宿街で食事してると、私のような外国人とよく会います。で話をします。
スイス人の女の子インスカと仲良くなりまして。よく会うんだよ食堂で・・・
UttraPradesh(地方)のNGOで四ヶ月働いてたそうで。今はインド横断中だそう。農村と違ってコルカタは色んなものがあっていいねぇといわれました。そっか、農村部からくるとそう見えるのか・・・私は毎日Pollutionと熱でお腹一杯です・・・

都市内部のスラムっていう貧困地域での子供たちの教育を見るためにコルカタに決めた私なんですが、
貧困でいえば、農村地域の方が酷です。のどかに見えるんだけどね。この前日帰りで農村の方にフィールドワークに言ったんだけど、やっぱり大地にすべてをたよらざるを得ない生活は、コントロールきかない分いろいろときつい。医者も少ない。教師もいない。・・・日本の地方にもいえるか。違うところは、インドの農村にはまだまだ子供の姿が多いこと。
まぁこの際日本はちょっと脇においといて、インドの場合、農村の経済格差がなくならない限り、都市部のスラムも縮小はしないしねぇ・・・・
いろいろとインスカの話を聞いてたら、農村部での教育事情や経済活性化に携わってるNGOにも興味が出てきました。
幸いうちのNGO、よく言えばフレキシブル、悪くいえばゆるいので、二週間ぐらいならお暇もらえるらしいです。ので、ブッダガヤのNGOとかにコンタクトとってみようともくろみ中なためすえでした。









ミャンマーでサイクロンですってね?
これから買った新聞読むんで、まだ詳細を知らないんですが・・・死者の数ももちろん胸が痛いんだけど、自然災害の影響って長期にわたるから・・・ニュース聞いて心配で・・・・


[2008/05/06 16:20] IN KOLKATA | TB(0) | CM(4)

rajabazarについてと、そのほか。 

私の仕事場は、rajabazarという所にあります。
コルカタにはいくつかスラム地区があるんですが、その中でも結構大きいスラムがある場所です。

コルカタの主要言語は、ベンガル語と英語です。ヒンズー語もか。
大体この三言語をごちゃ混ぜにして喋ってることが多いです。ほにゃららとわからない会話の中に突然英語の単語が聞こえるということは、しょっちゅう。
ただ
razabarのスラム地域の人々は、この三つの言語、どれも喋れない場合がほとんどです。
ここのスラムの主要言語は、ウルドゥ語。
ウルドゥ語はイスラム圏の言葉。
rajabazarは、スラムであると同時に、巨大なイスラム教徒のコミュニティでもあるわけです。
そうであるが為にここの地域だけ浮いてしまっていることが、貧困のサイクルの一因とも言えるかとおもいます。


言語と宗教の問題は、ここのスラムの人々がバングラデシュからの移民で構成されてることとがおおきく関わっています。バングラはイスラム教徒が多くて、国境地域ではウルドゥ語がよく使われてます。
コルカタはこのバングラデシュと隣接してるんですが、やれベンガル分割だやれバングラデッシュ独立戦争だやれサイクロンだやれ洪水だ・・・と、政治・災害さまざまな問題がおきるたびに、バングラ側からどっと移民が押し寄せます。
彼らは仕事を求めて、というより、もう地元では生きるすべがなくて、街に出てくる。
でも言語がわからない。仕事ができない。ほんとにrazabarを行き来してると、ぜんぜん言語が違うことに戸惑います。私なんかどっちもわかんないし・・・・
生活にこまって、彼らは言語がわかる地域に落ち着くようになる。
こうしてスラムは縮小することを知らず、その人口密度をあげてくわけです。


貧困にはいろんな側面があるもんですが、言語の問題がこうも壁になるんだなぁというのは、ここにきてはじめて実感しました。
学校教育を受けていない世代にとっては、新しい言語を習うということは未体験のこと。
子供達も、親の言語を聞いて育ってるわけなので、第一言語はウルドゥ語です。
別にそれはいいんですが、問題なのは、英語とベンガル語がある程度しゃべれないと、政府が提供する公立学校教育に入れてもらえないこと。
教育だけで貧困のサイクルを脱出できるほど、問題は簡単ではないけども、学校教育を受けるか受けないかで、現状脱出のチャンスは大きく変化するのは確かです。
その辺を問題視して、うちの団体は作られたわけですね。機会の平等は待っていても与えられないから、働く子供達・学校に行けない子供達に、ただで基礎的な教育を、って。
ほんとに基礎的な教育しかできないことや、親の理解、それから最貧層には手を出せない(このへんとても複雑)ことなど等、葛藤はものっそい多いですが。
「公立学校に子供を入れる」のが、最大目的です。もちそのあとのフォローアップもするけども、まずSそこが使命。
そして私は今日も、業務効率化のためのsurveyとたたかうのでした。通訳がこない・・・・orz




そうだ

別にスラムの人たちみんなが、仕事もせずに路上で生活してるわけではないんですよ。スラムと一言にいっても、人々の生活レベルはかなり幅広です。
スラム=路上生活者のあつまり、ではありません。
都市部で極貧層が居住する過密化した地区のことであり、都市の他の地区が受けられる公共サービスが受けられないなど荒廃状態にある状況を指す・・・・というのがウィキさんの定義。日本の大阪にもありますね。認識されてるのか微妙なところだけど。
普通に、住居を持ってる人ももちろんいます。
たまに歩いてると、制服を着た子供達がでてきたりもします。これはうちの団体が送り出した子供達の確立が高いです。
肉屋とか八百屋とか、仕事を持って働いてるおっちゃんらも多いです。
笑顔でアイスクリームにぱくつく子供達に挨拶されたりします。
一方で、路上で裸でゴミをあさる子供もいます。
骨と皮のような体にぼろのようなサリーをまとったお母さんが、地面に座りこんでいたり。ゴミ山のすぐ横で寝ている人がいたり。
雨季が来たら確実に浸水するとおもわれる路上の住まいには、ドアも壁もありません。

貧困の中にも更に度合いがあるということを、毎日目にしています。
雇用はあるにはあるけど、スラム地域全体のニーズを満たすものではない。賃金だってもちろん最低レベルです。
スラムは不滅のような気がしてくるけども、確実に未来は細く細くなってるんです。






”””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””””
まじめなことを書こうとするたびに、破綻するなー・・・わかりにくくてごめんね。ちゃんと言いたいことは伝わっているだろうか。何か質問とかあったら聞いてくださいね。
私は本日仕事がお休みだったので、来週末ダージリンに避暑に行く計画を立てに、鉄道予約局までいってきました。あほみたいに歩いた・・・・暑いのにご苦労さん自分。
こっちにいる間、平日はスラム、お休みの日はできるだけ一人で旅をしようとしてます。先週末はsunderbanというマングローブ地帯にでかけてきたとこだし。真っ黒というか真っ赤になったぜ・・・・

夜は主に読書してます。英語の本しかないので英語で。
フィクションの場合も多いんですが、中国人のgaryがバングラデッシュからグラミン銀行の資料を大量に持ち帰ってくれたので、最近はそれを中心に勉強してます。
テレビもネットもないからね・・・本読むしかねぇのんよ・・・・
まぁ半年間、大学での講義を受けられない分、ちょっとでも勉強らしいことしとかないとね・・・日本帰ってウラシマ状態もかなしいしね・・・



明日はフランクがドイツに帰国。短い共同生活だったなぁ。
いろんな人がいったり来たりするトレイニーハウス。次はギリシャからの男が15日に到着予定。
いろんな出会いからいろんなことを学んでます。
[2008/04/29 21:23] IN KOLKATA | TB(0) | CM(4)

かもされました 

お久しぶりです。

インドに入って二週間、ついにかもされました

・・「かもす」という動詞がわからないごく一部の方(どこまでも自分基準)のために書きますと「かもされる」とはもやしもんにおいて「菌にヤラれる」ことをさします。というかもやしもん読んでください。



月曜の朝に激しい腹痛で目が覚め、
下痢→過呼吸→発熱 (全行程中腹痛あり)
という、なんか去年の急性腸炎と同じようなことを体験しました。
これはやばいなと思って、二階に住む大家のとこまで這って行き、「おなかいたい!おなかいたい!」と騒いだところ、
外国人の「おなかいたい病」に慣れてる大家はすぐに訪問医をよんでくれました。
診察代と薬代、それに二回分のインジェクション代あわせて、800RP。大体2400円ぐらい?遠い大病院にタクシーでいくよりぜんぜん安く済んだ。


どうやら、食中毒みたいですね。いや、それしか考えれないんだけど。
日曜は10年ぶりの猛暑だったみたいで、42度・・・だったかな?とにかくれいねんに比べて非常に気温が高かったよう。そりゃ食べ物も悪くなるよなぁ。
普通なら、路上のものとか得たいの知れないものはこの時期食べないんですよ。観光できてるなら路上で売ってるものも楽しんで食べたいとこだけど、仕事してる以上、腹壊して休みますーじゃ情けないから。
ただ日曜はね・・・fieldworkで外に出てて、相手方のNGOの人と外で食べなきゃいかんかったもんで、仕方なく路上で一緒に食べてたんですわ・・・・で
たぶんそれにかもされたんですわ・・・・(涙
医者に「何たべたん」と聞かれて「路上でこれとこれ食べました」といったら「あーそれだ」とハハハと笑われたもの。決定やないか。笑い事じゃねえええええ


悪いことは重なるもので、
月曜はコングレスの関係でゼネストだったんですよ(涙
水しか飲めないのにどこの店も閉まってて水が手に入らない。
仕方がないので大家がいちいち水を沸騰させたものを持って降りてきてくれて・・・か、かたじけない・・・
冷房もちろんないしありんこ沸いて出てくるし駅からも仕事場からも遠いしと、トレイニーハウスの欠点はいくつかあるものの、たぶん4ヶ月間引越ししないであろうと思うのは、この辺の事情からですね。何かあったとき、上に大家がいるのは心強い。
ほんと今回のことは感謝しても感謝しきれません。治りかけの間も、ご飯作ってくれたりさー・・・
私は父方の祖母を除いて、祖父母をずいぶんと前に亡くしてるんですが、なんかいろいろと思い出さされました。


で、まぁ月曜からずっと寝込んでたわけですが。
もう大丈夫、全快しました。
といっても、暑すぎて調子に乗る元気もないし、仕事場からも一週間安静期間いただいたんで、おとなしくしてるとこです。
ほんと、食べ物には十分以上に気をつけなきゃな。多少高くついても、その場で調理してるとこを選ばなければ。





・・・ちなみに
一緒に住んでるドイツ人のフランクも、同じ日に食あたりを起こしダウンしてました笑。そういう時期なのね、やっぱりね・・・
そういや全然関係ないですが、昨日、中国人の男の子が仲間入りしました。トレイにーハウスに。
私より先にこっちで働いてたんだけど、休暇でバングラデッシュに行ったらビザの関係でインドに再入国できなくなって、半月ぐらい足止めくらってた模様。かわいそうに・・
しかしいきなり料理しはじめたのにはびびった。そして明らかに食べきれない量。
結局残してキッチンにおきざりにしてありの巣になってました。やーめーてえええええええ
フランクと二人で「だからね、この時期、外に食べ物置くなって!!やめてくれって!絶対そのうち黒光りするやつくるし!!!」って念押したんですが、さて、今日どうなるだろうなぁ・・・・
でもいい子ですよ。そして勉強家。


___________________________________
仕事について。
今週は全然行ってないんでなんともいえませんが、
先週はやっと仕事らしい仕事をするために動きはじめました。

`DEVELOPMENT OF STRATEGY
SURVEY ON PARTNER'S NEEDS AND DEMANDS
STRENGTHEN COLLABORATION BETWEEN PARTNERS
ACCESS TO DONOR INFO
..という風に、おおまかなやらなきゃいかんことリストの枠があるんですが、今そのsurveyのとこあたりです。
ここが実は一番時間かかるんですよね。
生徒、教師、親、公立学校に進学した生徒、公立学校の先生、そのほか政治関係やNGO関係の人などなど。インタビューにいかなきゃいけない人の数自体はそう多くないんだけどなぁ・・・
あとインタビューをしに行くときに、必ず団体側の通訳をたてなきゃいけないのも懸念事項ではある。だって団体側の人間がいるとこで、言いたいこと直で言わないことも大いに考えれられるし、トランスレーションの過程で内容の意味合いを多少ずらして伝えられることも考えられる。
私がウルドゥ語話せればいいんだけどな・・・ああ。
言語に関しては、このスラム地域の貧困とも根深く関係することでもあるので、じゃぁ、次回にでも。



そちらはもうゴールデンウィークちかいのかな?
ノロウィルスにかもされないよう、お気をつけて。
近いうちデジカメの写真をアップできるといいなぁ。
[2008/04/24 16:20] IN KOLKATA | TB(0) | CM(10)
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