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slumdog 

試験終わったら映画わんさか見に行きたいと思ってる人ですこんばんわ。
今日はまたインド映画のお話。

n26808294_32523927_2413.jpg
映画「スラムドッグ・ミリオネア」。
Born to Lose - Destined to Win. っていうのが、上映時のサブタイトルだったみたいですが日本ではどうなるんだろう。

インドのスラムで育った青年が、あの番組ミリオネアに挑戦します。
貧しくても、その人生を通じていろいろなことを学んだ青年は、ものすごい正答率でどんどんミリオンに近づくんですが、
「浮浪者野郎に知識なんかあるわけねぇだろ、いんちきだいんちき」という世の中の偏見の中、詐欺罪でつかまった上拷問にかけられます。
さて彼の運命やいかに。


・・・・という話。
私はこの原作となる本を読んでいたので、それで興味があります。はよ見たい。「僕と1ルピーの神様」という邦題でどっかの出版社から出てるはず。
この映画では、インドのスラムがそのまま使われているそうで。
地域によってスラムの内容も構成も貧困度も変わるので、「これがスラムの現実だ」みたいな知ったかのコメントははっきり言ってどうかと思うんですが
一人の監督、それもインドの貧しさを見つめてきた人の目から見たその世界には、非常に興味があります。

そしてもっと興味があるのは、インドでこの映画がどの程度見られるかどうか。
いつか、インド人の、スラムに生まれた本当の意味を内に秘めた子が、映画を撮る日がきてほしいなと。そういう思いは、前にこちらであげた「未来を写す子供たち」につながります。



ちなみにこの映画、
西欧諸国では相当量の賞にノミネートされてます。
がしかし、水をさすようで申し訳ないですが、基本的に私はあれらの賞の価値がよくわかってないので
インディーズ映画扱いだったのが超評価されてて、やっぱすごい映画じゃん!みたいな意見もよくわかりません。
良い映画と悪い映画なんてあるんかい。
フィクションであれドキュメンタリーであれコメディであれ、映画である以上、それは恣意から自由じゃないですよね。誰かの視点で、創作物。
そこから何のメッセージを拾うか、だと思います。
その拾い方は、ほんとに人それぞれであるべきだとおもいます。
ジャッカス見て「ヒューマニズムに目覚めた」と思うひとがいてもいいと、真剣に思います。いやそういうことが言いたいわけでもないんですが。


=====================================
ちなみにこれはボリウッド映画ではないですが、
ボリウッド特有のあの感じが、最近恋しくなってきてます。禁断症状的なものかしら・・・・
あちらにいる間は結構見たんですけどね。
もちろん言葉わからないけど、その辺はやっぱり演技と歌で。
なんかか観る前はずんどこ踊ってるイメージしかなかったんですが、私はむしろ好きになりました。歌なんかもね。声きれいで。
子供たちもラジオから流れる歌だけは知っているので、一緒に歌うと、ヒンズー語下手~とかいたいとこえぐってきて楽しかったです(ぇ


↓おきにいり
http://www.youtube.com/watch?v=XiaV67y_bNM
RACE。。。ラブソングですね

http://www.youtube.com/watch?v=oTcFrB2Q8_8
kismat connection....キスマットは縁みたいなことだったと思います・・あれ違うかな
この主演の兄ちゃんが好きです。シャールカーンの次ぐらいに。


http://www.youtube.com/watch?v=XvW4HOKcnPs
Jaane tu ya Jaane NA....「ハステ」は笑って!ってこと。
これ、よく辛い時期にみんなで歌ってました笑。
どうでもいいけどこの映像からわかるように、あちらの大学生は普通にミニスカはきますよ。日本人以上の。


ストーリーは、30年前の少女マンガを見る気分で行かれればいいかと。
映画の歌が歌えれば、どこいっても話のタネにはなるので。インド行かれるかたは、見てみても面白いかも。冷房きいてるしね笑。




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先日、AIESECの集まりに顔出してきました。
来月インドに研修にいかれる方が二人きてました。
なんか、インドいき決まりましたーやっべビザとんなきゃそして予防接種しなきゃーとかわたわたしてたのが、去年のいまごろなんですね。ざっと一年たってる。

きっといろいろな経験をこれからするんだろうな、あの風景やあの道を、彼らも通るんだろう・・・とか、なんか懐かしい思いでお話させていただいて。
懐かしがってる暇があんまりない今日この頃ですが、インターン仲間が世界中から送ってきてくれてる喝(私は今年就職しないけどお前は今年就職活動して稼いでヨーロッパ来いとかいうユーロセントリズムな意見も含め愛おしい)を胸に、いまは逃亡願望をおさえたいと思います。いや、とりあえず夜にコンビニまで徘徊する程度の逃亡なら許そうか(自分に甘い

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[2009/01/26 01:07] インド関係書籍・資料 | TB(0) | CM(0)

Calcutta's Red Light Kids 

来週、東京帰ります。
主たる目的は就職活動関係と、受験時代の同胞たちとのリユニオンなんですが
それ以外にひとつ、大きな目的ができました。
それが、シネスイッチ銀座で今週末から公開される、映画「未来をうつした子供たち」。アカデミー賞のドキュメンタリー部門に輝いた作品です。2004年にアメリカでは公開されてるんだけど、日本はやっとこさの公開です。

英語版でもうDVD出てるみたいですが、DVD買っても「かって満足して二回以上見ない」傾向があるもったいないお化けにたたり殺されても文句いえない私には、高い買い物だしね。
ちょうど時間もあるし、見に行くことにします。

bib.jpg

邦題「未来を写した子供たち」、原題「Born into Brothels(売春宿に生まれて)」。与える印象はなんだかちょっとかけ離れちゃってますが、この二つを並べてちょうど全体のイメージってところなんだろうか。
インドのコルカタが舞台です。
コルカタの中でも、「レッドライト」地域、つまり、売春通りがある場所が舞台。
主人公は、売春婦を母にもち、RedlLightDistrictでともに暮らす子供たちと、
彼らにカメラの使い方を教えることで、彼らがいる負のスパイラルを断とうと奮闘する、一人の女性の姿。



映画自体をまだ見てないから、コルカタにいたころに文書類で読んだ事前知識だけでの話になりますが、
ここにすむ子供たちっていうのは、大体初潮がくるころには、売春させられるようになるそうです。
「構造的暴力」っていう言葉が、頭をよぎりました。ほんとそうだ。
はたらかされるのは、スラムの子供たちと変わりませんが
性を使った労働ですよ。
生まれた国と場所が違うだけで、容認されていいわけがない。けど、そうしなければ生きていかないと言われた時に、あらがえるかという。現地の人間誰もが「レッドライトディストリクト」という括りを設ける中で。お前の生きていく道はこれしかないんだよ、と親に言われる中で。そういう現実の残酷さの片鱗だけでも見てしまうと、何も言葉が出てこなくなりました、私は。
でもそこで言葉を発して変えていこうとする人たちが、いるんですよね。


私自身は、RedLightDistrictにはいったことがありません。
場所は知ってたので、児童買春の問題性と、そこに必然的にうまれるAIDSの問題、これは児童労働と並んで無視できない問題だと思って、上司に何かの形で関われないかと聞いてみたところ
むちゃいうなと。ものすごく嫌な顔で言われてしまって。
そりゃそうですよね・・・・現地の人の方がそういう地区には警戒心が強い。普通にいやがられました。
しかも児童労働の方と違って、NGOのリーチ外だった。NGOってのは、領域なんかないように見えて、実は結構コミュニティが大事だったりするんだとその時実感。
私としても、一人で行くリスクにチキった(マフィアがいると脅されて)のと、AIDS関連のプロジェクトを立ちあげるには遅すぎたのと、学校運営プロジェクトを中途半端にできないこと、そして一番大きいのは、自分の準備不足(事前知識含め、興味関心以上の、当事者のための大目的が成立しなかった)があったので、結局いかず。
こんな人がいたんだなぁと、お会いしたかったなぁと思います。
子供たちをプロジェクトのアクターとしてとりこんだのが、本当にすごいと思う。主役にしてあげられたことが。
私たちは、ポストカードプロジェクトでは、彼らが主役であることを第一に考えたけれども
学校運営プロジェクトでは、主役にしてあげられなかったしな。もちろん当事者意識は必要なので、全段階で現地のお母さんお父さんたちには参加してもらってるんだけど・・・あとは子供の意見聞いたり?でもそのレベルにとどまってるしね。
この辺も、今度話してみます。



生まれた場所の構造にとらわれる子供の問題。
お時間ある方は、ぜひ足を運んでみてください。
もちろん東京の友達で一緒に行ってくれるならうれしいんだけど、平日なんで笑。そんな暇人私ぐらいだろうし・・・
上映の売上の一部は、KIDS WITH CAMERASという運動に寄付されるそうです。
詳しくは→http://www.kids-with-cameras.org/home/
コルカタ内にこの事務所あるみたいだから、なんかリンクできないかな・・・・という話を、してるとこです。デニースと。実際問題難しそうではあるけど・・扱うトピックの種類的に。
[2008/11/21 03:27] インド関係書籍・資料 | TB(0) | CM(1)

empowerment through learning, knowledge as power. 

「NGO大国インドー悠久の国の市民ネットワーク事情」
斉藤千宏・編
明石書店
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NGO大国インドの、全体的な活動、歴史、ネットワークに触れつつ、個別具体的な団体の活動をみていく形。

インドのNGOは住民同盟的で、その数の多さと比例して実効性をもたない団体の多さも際立ってる。
そんなインドのNGOの中でも、政策提言をするような、かなり影響力のあるNGOに関する情報が多い。
どういう風にして、実際的なニーズをもたらす団体から、戦略的ニーズ(政策を変えさせるほどの変革をもたらす)を満たす団体になるか、具体的な事例をもとに検証してます。
現地的・実際的ニーズの補充は勿論大事で、そこが出発点ではあるべきだけど、
他地域でも共通して見られる問題が根底にあるなら・・・ネットワークを作って、官に提言する力があったほうがいいことを認識。
NGOは大きくなる必要なし!という見方も勿論できるけど、そこは、組織の目的を何に置くかで変わってくるから、一概にはいえないかと。

読んでて思ったのは、NGOの性格上、
「住民同盟として実際的ニーズを円滑に満たしていないと、次のステップに進めない」
ということかなぁ。
カリスマ的なリーダーに率いられて大きくなった団体もあるみたいですが、
1.信頼という形での実績と
2.第二段階への展開の必要性の実感
この二つを確立することは必須なんだろう。
その上で、メディアとか政府とかと連携して問題意識を広めていけばいいのではないかと。
こんなこと色んなとこに書かれてるとは思うんだけど、この本では具体的な活動例が用いられてるんで、これからインド行く人としては「使える」と思う情報が多かった。




気になったのは、半官半民で行われてる、識字キャンペーン。言葉・数字を読めるか読めないかは、所得以上に寿命にまで関ってくるのはちょっと考えれば当然の事。そしてインドは世界でもっとも非識字層が広い。
で、この識字キャンペーン(KSSP)。民間からのイニシアチブでスタートしたものです。
NGOと官が組織して、国民皆識字計画(NLM)を実施してるんですが
ローカルに計画をになうのは、ZSS(県識字委員会)。ここの構成員がローカルNGO。
教育開発やボランティアの訓練、キャンペーンの盛り上げや、計画のフォローアップや第二段階の展開提案(この辺は、私がカルカッタで働く際に注視できることだ)などなどを、実際に決めていく。
ここで重要になってくるのが、「俺たちの仕事」としての意識を根付かせること。
文字を「教える」のではなくて「普及に、社会の皆の力を貸してもらう」形をとるわけですよね。NGOは、日常の悩みや経済的困難なども聞きながら、柔軟に戦略を変えてく必要がある。その意味でも、カウンセリング(医学的意味ではなく)ってやっぱり大事か。

うまい形で官を巻き込んで、実施はローカルレベルで行ってる形態。非常に興味深かったです。
実際的ニーズと戦略的ニーズを、ネットワークを組むことで両立させてる。これ、組織的に肥大化することなく実現するのは、非常に難しいことだと思う。



ケーララモデルと言われるものも、非常に興味深い。
ケーララ(南インド)では、現地の言葉で科学を民衆のもとに!ってのを理念に、定期刊行物発行からはじめて、大衆運動にまでもってった。行進とか路上演劇とか、教師への働きかけ・・・色々とヒントになる情報が沢山ありました。
ケーララ州の教育が良い!というのは、経済学部のゼミを聴講させてもらってたときに、ちらっと勉強してたんだけど、ほんとにここの州は識字率が先進国並。1900年初頭で、女性の教育レベルが他の地域の七倍っていうのも驚異的な数字。
乳児死亡率が低いあたりにも、比例性が見られるそうです。
ただ、成長率が低いんですよねー・・・この辺もうちょっと調べたい。






ちなみに今日の日記の題名は、PRIAっていうNGOの理念。
私の考えてることそのまんま。教育って本来、こういうもんかと思う。






*******自分用メモ*****
VANI:Voluntary action network india
VHAI: Voluntary Health Association of INdia
PRIA: Society of Participatory Research in Asia
[2008/03/19 02:04] インド関係書籍・資料 | TB(0) | CM(0)

読んどいて損はないと思う本 

企業研修でもなく、専門的知識を求められる仕事に就くわけでもない私の研修は
かっこいい言葉で言えばジェネラリストとしての資質が問われ、現実的にいえば「できるためにはなんでもやれよ」というものです。後者の方が私っぽいです。
企業の利益を考える職員としてではなく、そのコミュニティの利益を考える一人間として(組織の中の一人であることに変わりはないんだけど)動かなければいけない以上、
関る対象へのまなざしとか、自分の素の部分を鍛える必要が、どうやらありそうで。
そんな、まなざしを鍛える為に自分的に役立った!と思う本のの読書メモを、今後つらつら挙げていこうと思います。あちらで自分のブログを見て色々確認するのにも、役立ちそうだしね。



*********::*********::********
「働く子どもたちへのまなざしー現代世界における子どもの就労ーその分析と研究」
Michel Bonnet、堀田一陽訳
社会評論社
manazashi.jpg




これは、児童労働やストリートチルドレンに関与する研修を受ける人には、必読かと思える一冊。
働く子どもたちの現実をとらえながら、彼らにまなざしを向ける人々の直面する問題を、縦横に語ってます。

児童労働=悪、と決め付けて、子供を庇護の対象と捉えるんじゃなくて
彼らを貧者全体の一部と捉えることで、実際の彼らの姿を見ていこうと提唱します。

子供達が恐れるのは、危険な労働条件よりも、生きるコースを外れること。
子供達は、はたらきたい。
そして同時に、勉強をしたい。
理想は、仕事することで幸せに生きていける世界なんです。書く能力っていうのは、力の象徴だから。
働く子供にとって、就労は基本的権利であり、生きる権利の一部となってる。それが、七億の貧困児童の現実。



「どんな子供も労働から話されなければいけない」、だって「労働は有害だから」という視点の危険性も非常にわかりやすく説明してます。
認証ラベルにネガティブキャンペーン、NGOプロジェクトやILOの見事な標語、寄付にバザーに・・・って盛りあがる集まりを見ると、なんだかどこかで違和感を感じることがあったんだけど、
「牛の前に牛車を置くな」というこの本の内容に、あぁ、そういうとこで自分はもやもやしてたのか。と霧が晴れた思いがしました。
児童労働と労働運動が、結びついてないんですよね。「労働者」として子供が捉えられてない。基本的な現実が、そこだけすぽんと抜け落ちてるから、子供が問題からとりのこされていく。
きつい言葉でいえば、当事者ではなく、大人の政策のための人質・道具みたいなものとして周縁化されえる。
「北では、“働く子供達”から“児童の労働”へと問題が一般化されてしまう。彼らの写真は、問題を象徴する一種のロゴとなる。生きた人間ではなくなるのだ」
わかった気になってイデオロギーや人道主義に引きずられて出した解決策は、富や力で計画作ろうってとこにおちつく。認証ラベル信仰もいいけど、問題はもっと複雑だ。
働く子供を、客観的実在として、捉えていますか。そこを、一歩とまって考えるべきじゃないか。
勿論劣悪な状態で働かされる子供も多いから、それは「健康を害する」労働として叩かれなきゃいけない。でも、多くの子供の「就労」は、大体は家族枠内で行われるって点も、是非留意してほしいとこです。                                        



                                                           
「子供と共に歩くとは、子供の疑問を真剣に受け止め、自分の生活に置き換え、大人の方法で大人の世界に参与し、回答として彼ら自らの参加を提案するという一連の姿勢」。
本質的な解決には、子供自身の参与が必須。歴史の上でもいつだって、苦しむ人同士の連帯を固めることが、解決方法への唯一の方法だったでしょう。
そうかんがえれば、
子供は恩恵の受けてではなくて、あくまでもパートナー。
「一人の人間として歴史をもつが、そのスタートポイントを私達の歴史に決められた個人」なんです。だから大人は参与する必要がある。こどもと共にね。



とまぁこういった内容です。
インドに多い債務奴隷の話や、政府・国際機関の姿勢、こどもの親や企業側の戦略なども詳細のってますので、多面的な理解ができます。
じゃぁ一体どうすれば?という解決策は提示してないけど、それは私が現地にいって導き出すことだと思う。

ちなみに
児童労働を考えるにあたって、念頭においておいたほうがいいのが、本書でも繰り返しでてくる96年の「クンダプール宣言」。
その主な主張は、「ぼくたちわたしたちは、労働搾取に反対しますが、教育と余暇の楽しみにかなう時程をもった品位ある労働に賛成します。」って文面に出てるかと。こちらも参照してもらうと、より理解は深まるかと思います。





私は、研修先でも自分のまなざしをもとに、現地での教育や組織運営に携わるわけですよね。
帰国したら帰国したで、自分のまなざしで見てきたものを、色んな人と共有するわけで。
気をつけすぎることはないと思うから、最大限の注意を払っていこう。現に今の時点で、色々と反省させられる点はあったしな。
「教育」によって、彼らが知りたいことは何だろう?




*************************************
相手からAN(研修契約みたいなもん)が送られてきてやっと正式に研修決定!
とみせかけて、正式な判子がついてないというナイスなフェイントをかけられました。
ボルネオ中のわがSSに代わり、代理のコが即座に対応してくれたので、まぁ近いうちにちゃんと契約完成することでしょう。
また正式決定したら、研修先について色々書こうかな。
[2008/03/09 00:18] インド関係書籍・資料 | TB(0) | CM(0)

the truth of Mother Theresa 

mother.jpg

用事があって生協本屋にいったら、TIMESのバックナンバーフェアをやってました。
インド特集とマザーテレサ特集があったので、「ちょうどいい」と購入。最近インドについてばっかり読んでて、相当頭でっかち化してます。面白い国ですね、ほんと。


マザーテレサというと、大概の人のイメージは「聖人」に近いものじゃないですか?
貧しい人々のために愛を捧げた、愛と信仰に満ちた女性。彼女がノーベル平和賞を受賞しないで誰がする・・・といったような。
彼女の公での言葉は好まれ、いたるところで人々のモットーとして選ばれ、使われ、理念化されてる。


その彼女が、没するまでの50年以上に渡り、神の存在を感じていなかったといいます。

”I have no faith....The saving of souls holds no attraction....Heaven means nothing...pray for me please that i keep smiling at Him in spite of everything."

多くの人がマザーに抱くイメージとは真逆といっていいこの台詞は、彼女が牧師に宛てた手紙にあったものだそう。
カルカッタでの活動を始めた、丁度その頃から、彼女は神の存在を見失った。「闇」や「渇き」や「孤独」や「torture」といった言葉が彼女の手記には増え、文面から読み取れるその精神的苦痛は、読む人にも伝わるほどです。
マザー本人も、自分の本心と表に出す顔との差を自覚していて、罪悪感に二重にさいなまれた。
それでも、信仰と愛を捨てなかった、神の姿が見えなくても神の愛を信じた。
"I have come to love the darkness - for i believe now that it is part of a very, very small part of Jesus' darkness and pain on earth He wants to go through the agony in me."
マザーはそう思って、闇と共に生きることにしたみたいです。
聖人というより、人間的であるからこそ、なんていうんだろ・・・・こう・・・あやばい言葉にできない・・企画倒れだこれ・・・
特別な何かじゃない、具体的な、誰にでも共通する愛情を感じる。気がします。つたない表現力ですいません。


感じたことは色々あるけど、感じるものはひとそれぞれだろうから、あとは自粛。
九月の記事ですので、興味ある方は図書館でほっくりかえして見てください。


マザーに闇を見せたのが、カルカッタの状態だったのか、マザー自身の自分への評価だったのか、わからないけど・・・
そんな具体的な痛みと愛情を抱えて、マザーが動き回ったマザーハウスが、カルカッタにありますね。
カルカッタ生活四ヶ月の間、仕事に余裕ができてきたら、継続的にボランティアに行ってこようかと思います。トレイニーハウスからどれだけ遠いのかわかんないけど。



私は今から、自分の中の常識だとか信念だとか価値観だとかがめっためったにぶっ壊される予感がしてます。インドで。
ある程度柔軟だとは思ってるけど、どっちかっていうと、内向きな崩壊がなー・・・大きそうだな。
再構築して何が芯に残るのかな。


**********::::**********:::::*********::::
で、マザーに関して読んだもんだから、色々と思い出してしまった。
ここから先は普通に独り言でしかありません。



「日本人はインドのことよりも、日本の中で貧しい人の配慮を優先して考えるべき。愛はまず手近なところから始まります。」
これが、マザーが初来日した時のコメントです。
私はこの発言を本で読んだ時、ほんと色々と悩みました。ある意味、それまで自分が興味持ってたことが間違ってたような、そんな思いを抱いて。初めて自分の視点を相対化できた瞬間かもなぁ。
元々人生の半分以上を日本から離れて暮らしてた私は、物事を見る視点の出発点が、日本になかった。じゃぁどこにあったかと言われれば、ある意味、どこにもなかった。常に自分出発だった。英語のハンデが少ない分それが可能で、ある意味問題が根深かった。
いきなり「日本に視点をおけ」といわれても、苦しかったのが本音です。
でも結局、私のルーツは日本にあって、母国のことを知らなきゃいけないのは不動の事実やんね・・・と思って、一時、それまで調べてたアフリカの紛争地帯のDDRのこととかをほっぽって、釜が崎のことや日本の児童保護施設の事情etc、海外で興味があったことの日本版について、色々と調べたんだけど、
義務感でやっている感が自分の中に感じられて、さいっていな気分になりました。自分がさいっていだと。吐くかと思った。
そのうち自分を無理矢理「日本」に向かわせようとするほど、どっかに違和感が生じて、「これはマザーが言いたかったこととは違うような・・」ときづくにいたりました。


色々とスパイラルした挙句、国で物事を見るのも、これまた視野が狭いんじゃなかろうかと。
視野が狭い・・・というか、自分的に無理が生じる。
大きな問題に対してアタックして、それが国内でも問題となっているなら、問題意識をもって取り組むべきだろうと。
同じような出発点で、それまでとは明らかに違う感じがして、自分でも納得できた。「Think globally, act locally」ってよく言うけど、それともちょっと違うのかな。

で、私の「think」の対象は、子供を第一に考える国際社会。
そのための開発における教育の役割、だったんですね。この場合の開発は、経済・社会両義です。
サークル活動も、スマトラ沖地震後のインドネシアでの児童への防災知識普及からはじまって、「でも国内の断層地帯の子達も、地域のどこに逃げればいいかとわかってないんじゃないか」って視点から国内に拡げてく先輩達に共感して入った。
「知識がないばかりに命を落とす子供がいる実情」への問題意識を、国外の災害から、国内へ拡げたわけです。
人によっては「出発点が逆だろう」と言うとは思うけど
ニュースを見て、できることがあると、その時は思ったんだ。今もそう思ってます。


今回の研修も、なんでインドな必要があるのか?(元々アフリカだったけど)プロでもない私が行く意味はあるのか?とか色々聞かれることはあります。
先にあげた私の「think」の対象から考えると、日本よりも途上国の地元組織の方が、学ぶことは多そうだと思ったのも事実だけど(草の根の世界を知りたいわけで)
大層なことは考えてないのが本音です。色んな動機が入り混じって、どれが先でどれが後にきた動機なのかも微妙なとこです。
ただ、知っていた気でいた問題の現場に身を投じたいってのは、大きい。
純粋に知りたいと思うことに取り組みやすい時期のてっぺんが、今なんじゃないかと。甘ったれた学生は思うのです。


自分に何が差し出せるのか。自分が何を問題だと思うのか。自分はどこで動くのか。
これらに関して、「あるべき姿」も「正解」も「まちがい」もないんだと、私は解釈します。マザーが言いたかったこともそうではないと勝手に思う。
身近にある問題を見ないで、ただ「海外での援助活動」っていう絵をpraiseするのは、問題だ。
大きな視点から出発すれば、いつか自分の国の問題とだってぶつかるわけですし、
国内国外にあんまり囚われず動けたらな。と今は思ってます。




はぁ長くなった。
そういえばSSさんが今日、ボルネオに旅立ちました笑。無事に帰ってきてね~!
朝、空港から「これから搭乗します!」とメールが来たのに、寝過ごして返信できなかった私は、完全に春休みの生活リズムです。ごめんなさいorz
[2008/03/04 17:16] インド関係書籍・資料 | TB(0) | CM(0)
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